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HISTORY 2013.11.14

Herman Miller History


1987年
マックス・デプリーの最初の著書『LEADERSHIP IS AN ART』が発行される。本書は以後20年以上読み継がれる名著となる。

1988年
夫 チャールズ・イームズ死去からちょうど10年後の1988年8月21日、妻 レイ・イームズ死去。ハーマンミラージャパン株式会社設立。翌年には、1964年より日本国内におけるハーマンミラー製品の販売を行ってきた株式会社モダンファニチャーセールスを吸収合併。

1990年
ハーマンミラーの生みの親である、D.J.デプリーが99歳で死去。

HISTORY 2013.10.14

Herman Miller History


1978年
8月21日チャールズ・イームズ死去。イームズ家とイームズオフィスとのコラボレーションにより、以降もハーマンミラーは継続してイームズがデザインを手掛けた家具の製造・販売を続ける。

1984年
ビル・スタンフとドン・チャドウィック設計による「エクアチェア」が発売される。同製品は1989年にタイム誌によって、『全ての人に平等に人間工学を提供する為にデザインされた、真の人間工学椅子』と称され、デザイン部門の80年代最優秀製品に選ばれている。

1986年
ハーマンミラーがフォーチュン誌の『フォーチュン500』に選出される。
長きに亘ってハーマンミラーのデザインディレクターを務めてきたジョージ・ネルソン死去。

HISTORY 2013.09.23

Herman Miller History


1970年
株式公開。株券のデザインはイームズオフィスが手掛ける。

1971年
1960年代にロバート・プロプストが考えた原案をもとに「コヒーレント・ストラクチャー・システム “(CO/Struc) System”」を導入する。この製品により、ハーマンミラーはヘルスケア市場へと参入する。

1974年
ドン・チャドウィックのデザインにより「モジューラー・シーティング」が発表される。また、業界初の即時配達プログラムにより各市場に専用の地域物流センターを設立し、より迅速な対応が可能となる。

1976年
ビル・スタンフが整形外科や血管系医学の専門家らとの研究を経てデザインした、世界で初めて人間工学的な観点から開発されたチェア「アーゴンチェア」が発売される。これによって人間工学は新時代を向える。

HISTORY 2013.08.26

Herman Miller History


1964年
ロバート・プロプストとジョージ・ネルソンのデザインによるフリースタンディング ユニットグループ「アクション・オフィス・コンセプト “AO-1”」が発売される。

1967年
ハーマンミラーはヴェルナー・パントン デザインによる「パントン・チェア」を発売。初のプラスティック完全一体成型により製造されたこのチェアは、その後1975年まで販売された。

1968年
ロバート・プロプストが「アクション・オフィス・システム」を推進した。オープンプランのパネルシステムの採用により、より自由度の高いオフィスシステムの構築が可能となる。

1969年
新しいショールームが大阪にオープンする。
ヒュー・デプリーがD.J.デプリーの後を継ぎ、ハーマンミラーの会長へ就任。

HISTORY 2013.07.13

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1958年
ジョージ・ネルソンを主軸の建築家とし、ハーマンミラーの本部をジーランドに設立。カルフォルニアに新しい工場と、サンフランシスコにショールームをオープンする。
金属製フレームでシートを引っ張るというデザイン原理に基づいた、イームズアルミナムグループチェアが紹介される。

1960年
ハーマンミラーファーニチャーは、ハーマンミラー社に法人化される。後にハーマンミラーリサーチ社となるリサーチ部門がミシガン州 アン・アーバーに開かれ子会社化された。社長は、投資家であり教師でもあるロバート・プロプストが務めた。
ジョン・マッシーはハーマンミラーのフォントをヘルベチカにし、およそ40年間ブランドを確立させた“m”と一緒に表現した。また、この年にイームズウォールナットスツールが紹介される。

1962年
D.J.デプリーの息子のヒュー・デプリーが、社長及び最高経営責任者としてハーマンミラー社の指揮をとり、D.J.デプリーは取締役会長となる。イームズのタンデムスリングシーティングが紹介され、シカゴのオヘア空港に設置される。

HISTORY 2013.06.27

Herman Miller History


1955年
ハーマンミラーの歴史における極めて重要な瞬間である。イームズラウンジチェア&オットマンがNBCで紹介された。この椅子はハーマンミラーの品質と革新の可視化された象徴となった。

Eames Lounge Chair & Ottoman
『唯一無二のデザイン』
チャールズ&レイ・イームズは、遊び心のあるデザインと既成の枠組みにとらわれない発想で知られるデザイナーでした。その絶好の例がイームズラウンジチェア&オットマンです。実現までには苦労が伴いましたが、遂に発売された時にはこれまでに誰も見たことがないような唯一無二のデザインで、今に至るまで熱烈に支持される名作となっています。


『プライウッドとの戯れ』
すべては1940年代、イームズ夫妻がプライウッド(成形合板)という素材を試したところから始まりました。彼らは熱と圧力を加えてプライウッドを成型する新技法を発見し、アメリカ海軍の依頼で開発したプライウッドの添え木、グライダーシェルなどは第二次世界大戦で活用されました。

大戦が終結すると、イームズ夫妻は持ち前の想像力豊かな行動に出ました。海軍が使う添え木に用いたのと同じ方法で家具を作ることができると考えたのです。こうしてイームズプライウッドチェアを生み出すために開発された技法に見事な職人技が加わり、ラウンジチェア&オットマンが誕生しました。

『使い込まれた一塁手のミットのように』
チャールズはこのチェアの設計について「使い込まれた一塁手のミットのように、座る人を暖かく包み込むチェアを目指した」と語りました。“現代生活のストレスを忘れさせてくれる特別な空間”となるチェアを目指していたのです。その為、初めから快適性を重視した設計が行われました。現代生活は、この半世紀でよりストレスの多いものとなっています。
しかし、柔らかいミットに包まれてくつろぎたいという願いはいつの時代も変わることはありません。

『環境への配慮』
発売当初、イームズラウンジチェア&オットマンにはブラジリアンローズウッドの合板が使用されていました。しかしこの樹木は絶滅の危機に瀕していた為、伐採・使用を中止し、外観は似ていながら継続的成長可能な森林から作られたサントスパリサンダーに変更しました。現在、チェアとオットマンに使用されている4種類の合板の素材は、全て環境に配慮した管理が行われている森林から伐採したものです。

HISTORY 2013.06.15

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1950年
世界で初となる成形プラスチックのイームズシェルチェアがチャールズ&レイ・イームズによりデザインされ、ハーマンミラーから発表された。他にもイームズのストレージユニットとイームズワイヤーベーステーブルも発表された。

1951年
ハーマンミラーは、カラーリスト兼テキスタイル・イノベーターであるアレキサンダー・ジラードとのコラボレーションが始める。翌年にはテキスタイル部門がつくられ、アレキサンダー・ジラードがデザイン・コンサルタントへ就任する。

1954年
ネルソンエンドテーブルとイームズソファコンパクトが紹介される。翌年、イームズはスタッキング可能なシェルチェアを発表、ネルソンはココナッツチェアを発表する。

HISTORY 2013.01.19

Herman Miller History


1945年

D.J.デプリーは、ジョージ・ネルソンをハーマンミラーのデザインディレクターとして招く。

1946年

ジョージ・ネルソン・オフィスによる”M”のロゴスタイルのデザインを発表。
イームズプライウッドチェア、イームズプライウッドフォールディングスクリーン、イームズプライウッドコーヒーテーブルが発表される。ニューヨーク近代美術館(MoMA)が展覧会『チャールズ・イームズによる新しい家具デザイン』を開催する。ジョージ・ネルソンの紹介により、チャールズ&レイ・イームズとハーマンミラーのコラボレーションがはじまる。

1947年
ハーマンミラーがエヴァンス・プロダクツ社よりイームズのプライウッド製品の専売権を得る。

1948年
ジョージ・ネルソン・オフィスがデザインした表紙付ハードカバーの製品カタログを出版。初めての有料家具カタログで、現在はコレクターアイテムにもなっている。

HISTORY 2012.11.9

Herman Miller History


1942年
ギルバート・ローディのデザインによるユニット家具を発売。ハーマンミラーはオフィス家具の市場に参入。少ないコンポーネントを使ってワークステーションをいろいろに組立てられる「EOGコンセプト」が始まる。
ロサンゼルスにも新しいシュールームがオープンする。

1944年
ギルバート・ローディ死去。

HISTORY 2012.09.10

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1930年
ハーマンミラーは他の企業と同じように、大恐慌の混乱の真っ只中にいました。会社を存続させる方法を模索していたD.J.デプリーは、グランドラピッツにあるハーマンミラーのショールームでニューヨークのデザイナー、ギルバート・ローディと会います。ローディはデプリーに、伝統様式の家具から、アメリカ人のライフスタイルの変化によりあった、よりシンプルな製品の製造へシフトするように説得します。

1933年
ギルバート・ローディがデザインを手掛けたハーマンミラーの家具が、シカゴで開かれた「Century of Progress (進歩の1世紀)」博で発表される。

1939年
ハーマンミラーはシカゴのマーチャンダイズマートにショールームをオープンさせる。

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